帷子川の歴史は、洪水に悩まされたと同時に、せきを設けて灌漑水路を開き下流の田に水を供給したり、水草による動力源に利用したりと住民に潤いをもたらすそれでもありました。
行政が、三面をコンクリートで固める「死の川」の弊害をさとり、古来の“人間と川との共存”を追求し始めたのはごく最近のことです(2000年当時)。現在(2000年)「ゆめはま2010プラン」の保土ヶ谷区計画では、まちづくりの基本に水と緑と歴史の三本の線でつくられるトライアングル(三角形)を生かそうとしています。
川島橋は江戸時代から、随流院に渡る橋と記されている所ですが、そのほとりに近年完成した「川島町親水護岸」は岸壁に区の鳥・カルガモや鯉等の浮き彫りがほどこされ、川床には丸木の柵を立て、自然石を配して自然の植生をよみがえらそうとしています。元々この付近は大きな岩の上を流水の行く、自然景観の優れた所ですが、そこに近代の技術が加わり魅力が増しました。
このあたりから帷子川は西横浜付近で今井川と合流するまで、国道16号に沿った保土ヶ谷の市街地を流れ下りますが、それをほぼ視界から失うことなく歩いて下ることができます。もう一つ完成している区役所近くの「川辺公園親水護岸」では、釣りをする子どもたちや川風に吹かれて散歩する人達の姿がほとんど絶えることがありません。
「水の軸」は、まだまだ整備進行中ですが長い間保土ヶ谷の人々との深いつながりのある帷子川プロムナードを、時間のある時を選んで、ゆったりと歩いてみるのも新しい発見につながるでしょう。