保土ヶ谷宿の中心部にあって、本陣・脇本陣・茶屋本陣等の菩提寺であった大仙寺は、いまは東海道線を隔てた反対側から眺めると、時を経た山門に覆いかぶさるように檜やいちょうの大木があり、その向こうには本堂の銅葺きの屋根が見えます。元禄14(1701)年建築、大正12年改修といわれ、歴史の重みが迫ってきます。
本堂と並んで鉄筋コンクリート造りの庫裡があり、その裏手に米俵を形どった珍しい墓石があります。女性ながら一度に米俵三表を持ったという「おでん」の墓です。
「文化8年3月27日 心円妙清信女 俗名力持ちおでん」とあります。(文化8年は1811年です)
おでんの墓のさらに数メートル奥、山の斜面を背負うように、幸田南枝の「筆子塚」があります。筆子塚とは、寺子屋の師匠が亡くなった後に、手習いをした弟子たちが(筆子)その恩に感謝し師を弔うために建てたものです。天保6(1835)年建とあります。
幸田南枝は、漢字、漢詩、書に秀れ享和3(1803)年に日坂宿の大須賀鬼卵という人が、東海道五十三宿の和漢の芸に秀れた人を宿毎にその名と専門を整理出版した『東海道人物誌』に「幸田女南枝」として載っています。保土ヶ谷宿では5人のうちの1人で、墓石の彫り(浮き彫り)も深く立派なものです。
大仙寺にはその他に、本陣苅部家(現在軽部)の墓所があり、また庫裡の前の大梵鐘には目を引かれます。