上菅田・西谷後援会の伊藤ヒサ子さん
上菅田・西谷後援会の伊藤ヒサ子さんは毎年行われる平和行進の際、神奈川県内をずっと通し行進者として永年参加しています。そのために日常的に体力の維持に努めています。行進は、暑い日照りの下、雨の日も風の日も原水爆の惨禍が再び起こることのない平和な社会の実現を願って歩き続けます。
伊藤さんは、「2017年世界大会―長崎」、「核兵器なくそう 女性のつどい2017in長崎」にも参加しました。長崎は、1571年、ポルトガル船の来航により、歴史の幕をあけた『長崎』。江戸時代の鎖国下、オランダ、中国を通じて海外に開かれた唯一の窓口となった『長崎』。海外の最新知識を求めて多くの人材が訪れた『長崎』。幕末の開港により、洋館が建ちならび、居留地貿易で賑わった『長崎』。明治以降、近代化とともに貿易の街から造船の街へと変わった『長崎』。日中戦争、第二次世界大戦に突入、戦時色を強めた『長崎』。三方を山に囲まれ、開港以来歴史を刻んできた坂の町『長崎』に、1945年(昭和20年)8月9日、夏の一日が訪れた。
原爆投下前の長崎の街や風景、市民の生活。それが一瞬にして破壊されたことを語る11時2分を指したままの時計を展示しています。
そこで撮影して来られた写真をご紹介します。
被爆の歴史を残す山王神社と片足鳥居、頭部のとれたマリア像、被爆の時刻11時2分を示したまま止まった柱時計など。
神奈川県内を共に歩いた、国際青年リレー行進者 アメリカの若い女性 ケイラ・ウォーリーさんとも再会し抱きあいました。国連で核兵器廃絶の条約が採決された2017年 伊藤さんは核兵器廃絶への署名活動等に引き続き奮闘されています。