保土ヶ谷小学校の隣、桜ヶ丘へ上るバス道路からやや奥まったところにある遍照寺は、その本尊様が弘法大師の彫った薬師如来像と伝えられているので、保土ヶ谷でも古いお寺のひとつです。
このお寺の本堂の左奥に、江戸の狂歌師・朱楽管江(あけらかんこう)が碑文を書いたとされる「百万遍供養塔」があります。百万遍とは「百万回念仏を唱える仏教の行為」のことですが、これを達成すると「供養塔」を建てました。
この碑文は管江の狂歌「百万の数珠のくりきも盤石のこころひとつにたつ供養塔」で結ばれています。『くりき』とは『功力』のこと、信心の厚かった足立為茂という人の為に建したものですが、碑文に「余も又為茂の親友なり」とあり当時保土ヶ谷宿の人達が、江戸と深い文化的交流のあったことを示しています。
管江は狂歌師として、四方赤良(よものあから・大田蜀山人の別名)と並び称されたと言われ、信州軽井沢の宝性寺に「ここもまた 月の雪国雪国と はてなき空を わたる雁かね」の歌碑を残していることは、旅好きの人には知られています。江戸の文化人が、街道に沿って多くの同好の士を持ち、旅に出て交友を深めたことを物語っているのではないでしょうか?