「ゲタ履きで買い物が出来る」庶民の街として、テレビ・新聞等でも数多く取り上げられる松原商店街は、保土ヶ谷の名所として外すわけにはいきません。
やや東に傾いて南北に走るのが、江戸時代以来の旧東海道、国道16号の手前で東西に走る街並みと十字に交わって、商店街が形成されます。しかし、ここの歴史は1950(昭和25)年以後でそれまでは北端の「追分」で分岐する八王子道がメインストリート、横浜市街や港へ運ぶ農産物・絹等の運搬道でした。大正初年に開通した「横浜~厚木」・「横浜~二俣川」間の乗合バスは、この道を通っていました。
江戸時代の旧東海道は、浅間神社下から追分までが「芝生村」で、民家が街道に沿ってありましたが追分以南は今の16号を渡った「江戸方見附」までは民家が無く、文字通りの「松原」だったと言われています。
今、土・日曜日などには買い物客で賑わい、生鮮食料品・衣料品などを買い求める人で一杯です。「ハマのアメ横」のニックネームも聞かれますが、地元商店の人たちは「うちはハマの松原、一緒にしないでほしい(神奈川新聞1996年12月11日付)」と意気軒昂、庶民の街の自負心が伝わって来ます。