相鉄線星川駅商店街を過ぎ、和田町方面へ向かうとすぐに帷子川を渡るのが「両郡橋」、ここは江戸時代またはそれ以前から都筑郡上星川村と橘樹郡坂本村との境にある橋ということで、この名がつけられています。両郡橋の上流には、堰が作られて仏向、下星川(現在の星川)、神戸三村の水田用用水が掘られ、その近くには水車もあったと伝えられています。
両郡橋を渡って右へ坂道を登るたもとにあるのが蔵王高根神社、現在その用地内に坂本町内会館が建っています。この神社は古くから坂本村民に崇敬されていました。明治43年時の政府の「一村一社」の方針で矢崎村(明治43年仏向と坂本が合併)杉山社に合祀されましたが、その後も村民は社殿を残して遥拝し、昭和24年8月に再び合祀して独立したという歴史をもちます。
神社に上がる階段下には明治39年建立の馬頭観世音の石塔があり、すぐ近くの薬師堂敷地内には、庚申塔、地神塔、念仏供養塔とともに、子孫繁栄を願ったと思われる石棒なども残されており、今でも農業を続ける家族のある町らしい懐かしい風景となっています。
坂本村は幕府へ提出する『村鑑(むらかがみ)』-現在の国勢調査にあたる-によると延亭4(1747)年の家数16が幕末の天保11(1840)年には11となっており厳しい自然社会環境の下にあったと思われます。そのなかで現在でも地神講、稲荷講、薬師講などが続いて、「宿」鈴の家に集まり昼食会をもつなど昔ながらの風習が残っているそうです。