戦争体験集

佐藤 重秋 さん (上星川・1925年生まれ)

2015年2月14日

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1925年(大正15年)東京都大田区に生まれ、15歳ぐらいまで住んでいた。
男6人女3人の9人兄弟、長男は工兵として中国からビルマへ転戦し戦死。次兄は弾薬輸送中に戦死しました。
1941年(昭和16年)12月志願、土浦海軍航空隊へ入隊、予科練兵として霞ヶ浦で朝から晩まで訓練の毎日でした。1944年(昭和19年)実施部隊として厚木海軍航空隊へ。この部隊は小笠原の父島飛行場の警備などにあたった。また鹿児島の大隅にあった航空隊に特攻隊として配属された。この部隊は沖縄方面を守備した。私はけがをしたため実戦には行かなかった。その後 横須賀の海軍宿舎へ移り待機。横須賀は爆撃は受けなかった。乗る飛行機がなく、これでは勝てないなとおもった。
玉音放送があるから集まるようにとの指令があり、ラジオの声で日本が戦争に負けたことを知った。ほっとした。
終戦を迎えた。実家(東京・調布)へ戻る。
たいへんな食糧不足で、山梨などに買い出しに行った。
航空会社から誘いがあったが断り、東急に入り電車の運転手となる。右下の写真は、佐藤さんと同級生4人の写真で、うち佐藤さん(右下)を除く4人は特攻隊として米国艦船に体当たりして戦死した。

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