保土ヶ谷駅西口から線路に沿った道が、金沢橋を渡って帷子商店街にぶつかる所・雑貨市野屋の横にある。文化11(1814)年建立で「程ケ谷の枝道曲れ梅の花」とある。当時すでに名高くなっていた杉田(磯子区)の梅林への道案内を俳句で表した「道標」で作者の其爪は、江戸時代の俗曲の一種河東節の名門三世十寸見(ますみ)蘭州と同一人物で俳諧を酒井抱一に学んだといわれる。
この句碑と並んで天和2(1682)年の「かなさわかまくら道」、天明3(1783)年の「圓海山之道」、弘化2(1845)年の「富岡山芋大明神への道」の三基の道標もある。東海道から金沢、鎌倉への分岐点として、重要な地点であったことが伺われるが、300年を経て保存されていることに、保土ヶ谷に住んだ人たちの思いが込められているように思う。保土ヶ谷区内で第一級の貴重な文化遺産であり名所であると思います。
江戸の俳人である其爪が、なぜ保土ヶ谷にやって来て道しるべの句を作ったかは、当時の「保土ヶ谷宿」で俳諧が盛んであったことと深く関係しており幸田南枝(女性)、田口田保、安藤星寿、鈴木節月、原(苅部)若水などが著名であった。