国道1号、岩崎ガードへの道端、今井川のほとりに文化7(1810)年建立の三山供養塔が建っています。三山とは出羽の国の羽黒山、湯殿山と月山のことで、高さが一番低く車で行ける羽黒山には、出羽三山神社の荘厳な建物が今でも存在しています。
江戸時代の人々は「信仰」にかけて色々な旅をしています。伊勢神宮や大山石尊が有名ですが、遠く出羽の国へも「講」をつくって出かけて行きました。経済的事情が許さない場合でも「小机三十三所観音」「神奈川薬師十二札所」などの地元での小旅行や地神、稲荷など様々な「講」をつくっては、地域の繋がりを強くしていました。
外川神社は、三山講の中心人物であった清宮与一という人が、羽黒山麓・最上川べりの「外川仙人大権現」の分霊を勧請したことから始まりました。明治2年のことです。戦前は子どもの虫封じに利益があると言うことで、7月17日の例祭の時は保土ヶ谷駅東口を出ると、外川神社の線香の匂いがしたと言われるほどでした。
神社の境内には古木指定された銀杏やけやきがあり、「小寿鶏」が広まった発祥の地であることを記した「感謝の碑」も建っていて、横を走る国道の喧騒を一瞬なりとも忘れさせる別天地をつくっています。